Web Artisan Blog - ウェブ アルチザン ブログ

MOTOGPを好きになったきっかけは加藤大治郎でした

Talk (51 items)

2004年07月15日

最近は雑談的な話題ばかり書いてます。。
技術的な情報も今後は書き込んでいきたいですが、
今、いろいろ心に思ってる内容をBLOG記事としておいておけば、
後々自分で読み返す事で見えてくるものがあるかなー、なんて。。


加藤大治郎選手については、以前少しだけ触れました
私が本格的にMOTOGPを見出したのは、丁度1年くらい前からです。
その理由なんかも前に書いちゃってまして、所謂、WGP(MOTOGP)ファン復帰組な訳です。。
しかし本当のキッカケは、
2003年4月6日のMOTOGP日本GP(鈴鹿)での加藤大治郎選手の事故のニュースでした。
それまでは、バイクレースにはとんと疎くなっていて、
日本人ライダーと言えば、平忠彦ノリック(阿部典史:今もMOTOGPで活躍中)だろう程度で、ある意味時が止まってました。

しかし、このニュースはやけに気になって、
その後もネットニュースで報告される大治郎選手の容体をずっと気にしていましたが、
2週間後の4月20日に残念な結果となりました。


それから私は、加藤大治郎選手の布石を辿っていきました。
オフィシャルHP
<スポンサードリンク>
私などが加藤選手の実績を紹介するまでもないのですが、
そこで知った事実、
つまり彼は、日本人初のMOTOGP世界チャンピオンに最も近い男だったのです。
特にそれは、2001年にMOTOGPの一つ下のカテゴリー250ccクラスで、
全16戦中11勝の新記録を挙げ、250cc世界チャンピオンになった事で証明されています。

その年、加藤選手は数々の賞を受賞しましたが、
その中で私の印象に残ったのは、東京中日スポーツのモータースポーツの賞を決める際の記者の言葉でした。
それは、同じくその年のF1鈴鹿GPで5位入賞を果たした佐藤琢磨選手と加藤大治郎選手のどちらにしようという時に、
”大ちゃんならMOTOGPで世界チャンピオンになるから、その時にしようじゃないか。”
という事で、佐藤琢磨選手に決まったというものでした。


加藤大治郎の名は、バイクレース人気の高いヨーロッパでも知られていて、
イタリアに”大治郎通り”なる通りが作られたのは有名な話ですが、
果たしてこれほどまでに有名な日本人ライダーがいた事を、何人の日本人が知っているのでしょうか?
・・もちろん、私も1年前までは知らない部類の人だった事になります。
しかし、何か悲しい現実です。

また、バイクは車と同じく日本のメーカーは世界的に有名ですし、
ヨーロッパでは”大人の乗り物”として人気があると聞きますが、
如何せん、日本では悪いイメージしかないように思います。
これも悲しい事です。

このような現実を踏まえて、
バイクレースの普及やバイクのイメージ向上なんかは、
企業やマスコミの努力で何とかならないものかと思います。

特に、MOTOGPなんかは今のF1なんかより断然面白いと断言します。
フジTVなんかも、F1やめてMOTOGPを取り上げた方が絶対盛り上がりますよ。
まあでも、フジTVの実況でMOTOGPは見たくないので、
やはり今のBSの静かな中継が一番ですが。。


とにかく、きっかけは加藤大治郎選手でした。
そのゼッケン”74”は、MOTOGPで永久欠番になっています。
私は、今後もMOTOGPを応援しますが、
その胸の奥には、
”テレフォニカ・モビスターカラーのRC211Vを走らせる加藤選手が、絶対に世界チャンピオンになっていたぜ”
という思いも持ち続けます。
<スポンサードリンク>
前の記事 次の記事

Comments

コメントは、まだ書かれていません

Add Comments

Trackback

トラックバックはありません

Trackback URL

http://www.res-system.com/weblog/action.php?action=plugin&name=TrackBack&tb_id=179